香陵ホッケークラブ

2022年6月に日本ホッケー協会の会長に就任された三須和泰氏(高校27回)に、高校時代の思い出や、その後のホッケー競技との関わりなどを伺いました。さらに、香陵ホッケークラブや現役高校生へのメッセージもいただいています。

(※肩書等は、2022年12月31日時点の情報です)

三須和泰氏プロフィール

沼津東高校在学中はホッケー部に所属。一橋大学でも競技を続け、卒業後の1979年、三菱商事株式会社に入社。英国三菱商事や中国北京赴任等を経て、2016年よりカンロ株式会社の代表取締役社長CEO。「変化無くして成長なし」をモットーに改革を推し進め、同社をV字回復に導く。2022年6月より公益社団法人日本ホッケー協会会長。

三須和泰氏

高校でホッケー部に入部したきっかけ

中学時代は野球部だったのですが、沼東野球部は年中合宿だと知り断念しました。
何をやろうかと迷いましたが、「毎年インターハイ出場」という看板に魅せられて、ホッケー部入部を決めました。

沼東ホッケー部時代の思い出やエピソード

上級生が少なかったことと、野球のバント練習で培った経験を活かすことが出来て、1年生からレギュラーに登用して頂きました。結果として3年間連続インターハイに出場することが出来ました。

3年生のインターハイ(伊万里)。一回戦は阿南工業に勝利したものの、二回戦で御坊商工に敗戦。

1年生の時(1972年)インターハイは確か山形開催だったものの、ホッケーは会場の都合からか東京開催で、1964年東京オリンピックの選手村(現在のオリンピック記念青少年総合センター)に宿泊しました。オリンピックに憧れていたのでとても嬉しかった思い出があります。試合会場は早稲田大学東伏見グランドでした。

また、当時監督だった江藤先輩、OBとして時々OB戦や元旦試合で教えを乞うた山田先輩、上村先輩、野田先輩の衰えていないテクニックには驚きましたが、よく怒鳴られていた気がします。

 

 

高校時代の思い出や活動(ホッケー以外)

3年生の時の香陵祭で空手部の友人と、音痴なのにデュエットしました。東京音大に進学した女子同級生にバイオリンの伴奏をお願いして「九ちゃんのツンツン節」替え歌をやったのですが、実家の修善寺の旅館にお願いして芸者さんから本格的な鬘を借りて白塗りメイクでやりました。気合入ってました。体育祭のスウェーデンリレーにホッケー部同期で出場しましたが、チーム名を「近藤向かって来い(コンドームかってこい)」としていたので、近藤先生に叱られました。成績は上位入賞でした。

当時毎年秋に行っていた全校ソフトボール大会も4組は気合が入っていて、3年生になってもチーム全員受験勉強を二の次にした練習の成果で2年連続優勝を果たしました。

大学ホッケー部時代の思い出やエピソード

一橋大学でも上級生の人数が少なかったこともあり、1年生からレギュラーで試合に出ていました。当時は関東学生1部リーグで、2年生の春のリーグ戦では法政大学・慶應大学に次いで3位になりました。その時は明治・早稲田・東京農大・防衛大に勝利する最盛期だったようです。

4年生の時は残念ながら前年に2部リーグに陥落していました。が、春先にパキスタンのチームとの親善試合で関東代表の一員に選ばれました。

試合の後半にライトウィングとしてプレーする機会に恵まれて、レフトハーフからのセンタリングにタッチシュートで合わせることが出来、チーム唯一の得点を挙げることが出来ました。その晩のNHKニュースでこの試合が取り上げられて、僕の得点シーンと名前が紹介されました。翌日は実家に問い合わせが何本も入ったようで、人生の記念に残る思い出になっています。

社会人になってからのホッケーとのかかわり

1979年、三菱商事に入社後ロンドン赴任までの10年程度時折ホッケーの試合に出ていました。1985年の全日本実業団大会1回戦での対戦相手が表示灯(現 名古屋フラーテル)で、チーム結成間もない頃だったようです。現在表示灯会長で日本ホッケー協会名誉会長の𠮷田大士氏(当時社長)がゴールキーパーで出場されていたことをつい先日お聞きしてお互い大いに驚きました。

カンロの社長になってから、30年振りでマスターズのホッケーに参加しています。

今年は富山県小矢部町石動で全日本マスターズホッケー大会が開催され、1勝2敗で予選リーグ敗退でした。上村先輩は72歳以上の部に参加されていたので対戦はありませんでしたが、今年はコロナ禍で3年振りではありましたが、この大会で毎年お目にかかるのを楽しみにしています。

日本ホッケー協会会長としての日々の活動内容

現在はカンロ(株)社長との二足の草鞋でかなり多忙にしています。

理事会は3か月に1回程度ですが、業務執行理事会・業務執行理事情報共有会を合わせると少なくとも2週間に1回は夜2時間程度オンライン会議を行なっています。

サムライジャパン・さくらジャパンの海外での大会遠征や国内の日本リーグ、国体、高校総体、中学生大会、スポーツ少年団大会、SOMPOジャパンカップ、マスターズ大会(2022年10月下旬にWHMホッケーマスターズワールド杯が初めて日本で開催され、上村先輩が出場されました)の準備でこの3か月息つく暇もない状態でした。

日本ホッケー協会では、「Japan Hockey Road to 2030」をビジョンに掲げて、ホッケーファミリーの拡大に努め、ワールドカップの日本開催実現に向けて日々活動しています。

香陵ホッケークラブに期待すること

ホッケーファミリーを拡大していくには小学生・中学生時代からホッケーを始める若年層の拡大が必須です。国が進める中学校部活動の地域移行の動向も踏まえ、今後香陵ホッケークラブが沼津東の高校生・OB中心から地域の小学生・中学生を巻き込んだクラブチームに成長していくことを期待しています。

カンロの社長に就任してから7年目を迎えています。その間積極的にメディアへの露出を高めることで、低コストのPR活動に努めてきました。

結果としてテレビ東京の「カンブリア宮殿」(2020年)、「ガイアの夜明け」(2022年)で取り上げてもらいました。学生時代は比較的内気な面が強い人間でしたが、ホッケーを通じて人間としても成長出来たのではないかと振り返っています。

今後学生・OBの皆さんに直接お会いしてお話する機会を持てれば幸いです。

沼東ホッケー部(高校生)へのメッセージ

沼東ホッケー部は、知名度の高い上村先輩のみならず、多くのOBが全国の大学ホッケー部やクラブチームで活躍していることもあり、ホッケー界では全国的に認知度の高い高校です。沼東ホッケー部員であることに自信と誇りをもって、今後も練習に励み心身共に成長してもらいたいと願っています。